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<title>碧海の彼方</title>
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<description>毎週土曜更新　</description>
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<title>三章「まなざしの行先」　―３―</title>
<description> 「そろったな」　朗々とした声が広間に響いた。広間の一番奥、上座で、銀髪の《祝い女》が立ち上がる。「《嘆き》で命を失ったものもおるが、こうやって助かった若者もおる。助かったものがおることを考えれば、今年の波杜は加護に恵まれておるといえるじゃろう。祭りまで日がないが、たくさんの感謝をあらゆるものに捧げながら暮らすよう。食材もそうだが、自らの周りにおる者に、誰よりも感謝の意を」　盃を掲げ、『長老』は歯を
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<![CDATA[ 「そろったな」<br />　朗々とした声が広間に響いた。広間の一番奥、上座で、銀髪の《祝い女》が立ち上がる。<br />「《嘆き》で命を失ったものもおるが、こうやって助かった若者もおる。助かったものがおることを考えれば、今年の波杜は加護に恵まれておるといえるじゃろう。祭りまで日がないが、たくさんの感謝をあらゆるものに捧げながら暮らすよう。食材もそうだが、自らの周りにおる者に、誰よりも感謝の意を」<br />　盃を掲げ、『長老』は歯を出してにかりと笑った。<br />「では、夕餉じゃ」<br />　待ってましたとばかりに、盃があちこちで交わされる。まだ祭り前なので酒ではないが、男たちは随分と嬉しそうだ。女たちもそんな男たちの様子をほほえましく見守りながら、くるくると動き回っている。どうやって『長老』のもとまで行こうか穂波が考えあぐねていると、ふいに肩を叩かれた。<br />「『長老』」<br />　意表をつく現れ方は、何度味わっても慣れない。意味もなく冷や汗をかいてしまった穂波に、長老はくつくつと笑った。本当によく笑う人だ。<br />「元気になったかの。水瀬は」<br />「ずいぶんよくなりました。まだ歩くのは大変みたいですけど」<br />　ちらりと傍らの水瀬を見ると、『長老』を警戒しているのか、どこか硬い表情をしていた。<br />「水瀬」<br />　『長老』に呼ばれて、水瀬は一瞬ためらうそぶりを見せたが、「はい」と答えた。<br />「何日後には、歩けるようになるかの」<br /> その問いに、水瀬は戸惑うというよりも、考えるように目を伏せた後、やや硬い声ながらも「明日には」と答えた。<br />　ぎょっとしたのは穂波だった。「ちょっと、いったい何を言っているの」<br />「身体のことは自らが一番わかっているじゃろう」<br />　別段、不審がることもなくそういってのけた『長老』に、穂波はむっとして返した。<br />「でもさっきは、たつこともままならなかったんです」<br />　それに答えたのは、驚くことに水瀬だった。「もう、大丈夫だ」と、すっと穂波から離れ、傍目にもわかるほどしっかりと立ってみせる。<br />（ありえない。どういうこと）<br />　混乱したのは穂波だった。水瀬の異常な回復もそうだが、それをなんとも思わない『長老』も、何かがおかしい。<br />「よろしい。助かるぞ」<br />　満足げに『長老』は笑って、穂波に向き直った。<br />「頼みがあるのじゃ」<br />　穂波はまだ釈然としなかったが『長老』の話に耳を傾けた。そして<br />「《海神の祠》に行ってほしいのじゃ」<br />　その言葉に、はっと身をこわばらせた。どうして、と思わず声が漏れる。『長老』は続けて<br />「毎年祭りのまえには真喜里と祠を開けに行くのじゃが、今年はちいと都合が悪くての。だからといって、真喜里ひとりに行かすのも心配なんじゃ。それに、水瀬の顔を海神に見せるいい機会じゃと思うて」<br />　《海神の祠》――屋敷の南にある森、安守森の高台にある堂のことだ。<br />　森といっても実際は山であり、祠に至るまでの道は決して楽なものではない。しかし、波杜の村人たちは、老若男女問わず、祭りの際に必ずお参りに行く。そして、それに先駆けて《祝い女》は扉を開きに行くのだった。<br />「で、でも」<br />　私は、と言いかけた穂波に、『長老』はどこか厳しいまなざしを向けた。<br />「村の者なら、誰でも行く場所じゃ」<br />　有無を言わせぬその口調に、はい、と穂波はうなだれて返事をした。『村の者なら誰でも行く場所』。確かにそうだ。しかし、穂波は<br /><br />（私は、五年前からあの場所には一度も行っていない……）<br /><br />　それが意味することを思いいたった穂波はうつむき、瞳を曇らせた。 ]]>
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<dc:subject>三章「まざしの行先」</dc:subject>
<dc:date>2008-10-11T00:00:00+09:00</dc:date>
<dc:creator>桐原 さくも</dc:creator>
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<title>三章「まなざしの行先」　―２―</title>
<description> 　集落を抜けて、その先にある階段を登りおえると、朱色の瓦が鮮やかな『長老』の屋敷がある。　隼太と早苗は『長老』家専属の乳母の家筋で、屋敷に暮らしている。今は祭りの準備で、多くの村人が屋敷の広間で夕餉を食べているらしい。少し離れた場所からでも、穂波の耳に、くすぐるような楽しそうな声が届いた。「みんな、心配してたのよ」　屋敷の玄関口までやってきて、早苗が穂波に言った。「貴女も、その子も。隠す必要なんて
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<![CDATA[ 　集落を抜けて、その先にある階段を登りおえると、朱色の瓦が鮮やかな『長老』の屋敷がある。<br />　隼太と早苗は『長老』家専属の乳母の家筋で、屋敷に暮らしている。今は祭りの準備で、多くの村人が屋敷の広間で夕餉を食べているらしい。少し離れた場所からでも、穂波の耳に、くすぐるような楽しそうな声が届いた。<br />「みんな、心配してたのよ」<br />　屋敷の玄関口までやってきて、早苗が穂波に言った。<br />「貴女も、その子も。隠す必要なんてなかったのに。どうしてそんなことしたの？」<br />　えっと、と穂波は口ごもった。「負担がかかると、いけないと思って」<br />「もう」<br />　早苗があきれたように言った。「まあ、元気でよかったけど」<br /><br />　隼太が夕餉の始まった広間に顔を出すと、村の若者たちがわらわらと駆け寄ってきた。今年二十になる隼太は、闊達なところも幸いして、若衆の頭的存在だからだ。<br />　しかし、隼太は群がってきた若者たちに対して鼻で息を吐くと<br />「おらおら、おれに媚売って早苗を嫁にできると思ったら大間違いだからな」<br />　ばれたか、と若者たちはお互いを小突きあって笑った。ひとりが苦笑して「そんなふうに妹にばっかり構ってるから、自分が婿に行くのが遅れるんですよ」と言って、隼太に拳骨をくらう。確かに、二十になる前に相手を見つけるものが多いなかでは、隼太は遅れているほうなのだが。<br />　傍らの早苗は、穂波のほうを振り向くと、少し困ったように、でもおかしそうに笑った「仕方のない人たちだわ」。<br />　そう言う早苗は、確かに人目を引く容姿をしており、しっかりものなのだが、何だかんだ言われつつも、若者たちの言葉にはあまりなびいていないようだった。<br />「さて、隼兄がここで立ち往生してる間に、『長老』さまに挨拶に行きましょ。みんなにも顔を見せなくちゃ」<br />　そう言われて、初めて若衆たちは穂波と水瀬の存在に気づいたようだった。次々に「お、穂波」「元気だったか」「おれは気付いてたぞ」「本当かよ」「とりあえず無事でよかった」「馬鹿、病人は男のほうだろ」「そうだ」<br />「おばかさんたちは放っておきましょ。ほらほら、行くわよ」<br />　早苗に先導されて、穂波と水瀬は広間へ足を踏み入れた。ざわり、と空気が揺らいだ気がした。水瀬もそれに気付いたのか、身じろぎをし、顔を上げた。すると<br />「お、おおお」<br />　よたよたとひとり、歩み寄ってくる影があった。小さな老婆だ。顔のしわを盛大にくしゃくしゃにしながら、頼りない足取りで、しかしまっすぐに穂波に、いや、水瀬に向かってくる。早苗がそっと後ろから老婆の身体を支えた。<br />　老婆は水瀬の前に立った。そして、ゆっくりと、節くれだったしわしわの手で、水瀬の顔を包んだ。つう、としわに覆い隠された目から盛り上がったものが、老婆の頬を伝い、筋をつくった。おお、おお、と声にならない嗚咽を繰り返す。その合間に、かすれた呟きが混じる「よく、よく、無事で」。<br />　水瀬は目を大きく見開いていた。言葉を探すように、少しだけ口をあけて。穂波はゆっくりと水瀬の肩から、自らの肩を外した。<br />「抱きしめてあげて」<br />　そっと、耳元にささやく。水瀬は困ったように、顔を歪めた。もう一度、穂波は繰り返す。「お願い、抱きしめてあげて」<br />　水瀬は、まるで壊れ物に触れるかのように、おずおずと、かがみこんで、自らの肩にも届かない、小さな老婆に手を伸ばした。ためらって、ためらって、それでも少しずつ、伸ばしていく。そして、ゆっくりと、老婆を抱きしめた。一瞬、易々と腕に包むことが出来てしまったことに慄いたように、また目を見開いたが、どこか悲しげに目を伏せて、老婆の首筋に顔を当てた。まるで祈るように、目を閉じていった。<br />　しばらくたったあと、老婆が水瀬の胸に手を当てて、身体を離した。水瀬も腕を解き、向き合うかたちになる。老婆は、目に涙を浮かべながら、それでも、はっきりと言った。<br />「本当に、無事でよかった」<br />　水瀬はその言葉を聞いて、どうすべきか迷っているようだった。しかし、膝を床に付けた体勢のまま、手のひらを突いて、深く頭をたれた。それが、礼の意なのか、謝の意なのか、穂波にはわからなかったが、彼が自分自身でしたことに対して、穂波は自分のなかの何かが緩むのを感じた。<br />「本当はね、まだ寝てたほうがいいの」<br />　早苗は水瀬と穂波に向かって「だから、奥に連れて行くね」。<br />　去り際に、最後に、老婆はふわりと水瀬に向かってほほ笑んだ。歩み寄ってきたときの弱弱しさは、どこかにいってしまったかのようだった。<br />　しばらくの間、固まったように座っていた水瀬に、穂波は腕を貸した。そして、ささやいた。<br />「わかってほしい。あなたはここでは生きるべき存在なのよ」<br />　水瀬は、穂波の言葉に答えなかった。そらされた瞳がひどく哀しそうで、穂波は思わず顔を歪めた。<br />（この子には、何があったんだろう。どうして、こんなにも悲しそうなんだろう……） ]]>
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<dc:subject>三章「まざしの行先」</dc:subject>
<dc:date>2008-10-04T00:00:00+09:00</dc:date>
<dc:creator>桐原 さくも</dc:creator>
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<title>三章「まなざしの行先」　―１―</title>
<description> 　自らの頭がゆっくりと持ち上げられる感覚で、穂波は目覚めた。　ぼんやりとした意識のなか、身体を横たえたまま目線をあげると、黒い瞳が自分を見下ろしている。「えん、げつ？」　つい、と目線がそらされる。違う、これは……と思考がゆっくりとまわりはじめたとき、淡い光を放つものが目に入った。あおい光を放つ、勾玉。黒い瞳、黒い衣。その人物に思い当たったとき、穂波はばね仕掛けの人形のように勢いよく身を起こした。そし
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<![CDATA[ 　自らの頭がゆっくりと持ち上げられる感覚で、穂波は目覚めた。<br />　ぼんやりとした意識のなか、身体を横たえたまま目線をあげると、黒い瞳が自分を見下ろしている。<br />「えん、げつ？」<br />　つい、と目線がそらされる。違う、これは……と思考がゆっくりとまわりはじめたとき、淡い光を放つものが目に入った。あおい光を放つ、勾玉。黒い瞳、黒い衣。その人物に思い当たったとき、穂波はばね仕掛けの人形のように勢いよく身を起こした。そして、狭い小屋のなか、ごちんと壁に頭をぶつけた。<br />「き、気分はどう？」<br />　頭をさすりながら、穂波が問うと、少年は短く「問題ない」と答えた。<br />「そ、そう」<br />　『長老』が去ったあと、深い眠りについた少年を見て、自らもうとうとと眠ってしまったことを穂波は思い出した。いくら病状がよくなったからといって、油断してはいけなかった。その病人の上に頭をもたげて眠るなどもってのほかだ。<br />　しかし、実際少年は問題なさそうに見えた。顔色がさえないのは仕方ないとして、熱っぽい顔ではないし、瞳もちゃんと穂波を捕らえている。『長老』の癒しの力のおかげだろうか、と穂波は思った。昨日以前の病状を思えば、あまりにも早い治癒だとも思われるのだが。<br />　なにはともあれ、少年の容態が回復したのは穂波にとってとても嬉しいことであった。自然と笑みをこぼしながら、穂波は口を開いた。<br />「元気になってよかったわ。あたしは穂波。あなたの名前は？」<br />　そう尋ねてから、またもや穂波は昨日の出来事を遅まきに思い出した。『長老』はこういったのだ――「名をおあげ」と。<br />　案の定、少年は何も答えない。沈黙はとてつもなく重かった。心ここにあらずのような相手に、穂波はたじたじになった。<br />「え、えっと……」<br />「解らない」<br />　少年から普通の言葉が発せられたことに安堵する。どうやら穂波の言ったことは聞こえていたらしい。<br />　穂波はどう切り出そうか迷った末、おずおずと訊いた。<br />「昨日のこと、覚えてる？」<br />　少年は穂波を見た。それを肯定の意ととらえて、穂波は話を続ける。<br />「あの、あのね、名前がないのは不便だから、あたしが好きなようによんでいい？」<br />「構わない」<br />「じゃあ、あたしあなたのことを“水瀬(みなせ)”って呼ぶことにする、から」<br />　少年のそっけない答え方に、穂波の言葉の最後は尻すぼみだった。しかし、穂波はほほえんでいた。そして、妙な嬉しさが心にふつふつと沸いてくるのを感じた。<br />「水瀬」<br />　穂波は少年を呼んだ。少年は、どういう反応をとったらよいかわからないように見えた。穂波は、もう一度訊いた。<br />「いい？」<br />「構わない」<br />　少年――水瀬は、そう答えたあと、かろうじて穂波の耳に届くくらいの声で、小さく水瀬、とつぶやいた。穂波はそれを聴いて、どうしようもなく嬉しくなった。<br />　また、しばらく沈黙があったのち、口を開いたのは水瀬だった。<br />「ここは？」<br />「えっと、ここは、我児奈波(あこななみ)よ」<br />　水瀬の顔になんともいえない表情が浮かんだので、穂波は水瀬が『我児奈波』という場所を理解できなかったのだと思い、急いで補足する。<br />「あのね、我児奈波っていうのは、四方を碧海(へきかい)に囲まれた島国よ。貴方は嵐の乗ってここに流れ着いたの」<br />「そうか」<br />「で、ここはその我児奈波の島の一番北にある村、波杜(はと)」<br />「昨日、来たのは」<br />「『長老』よ」<br />「『長老』？」<br />「『祝い女(いわいめ)』よ。目は見えていないけれど、不思議な力を持っているの」<br />「……なるほど」<br />　少年は何か考え込む様子を見せて、ふと穂波を見て尋ねた。<br />「『祝い女』？」<br />「違うわ。わたしはただの村人」<br />「そう、か」<br />　水瀬が首を動かすたびに、柔らかそうな黒髪がふわりふわりと揺れた。<br />（あたしはさっき、彼を延月って呼んでしまったんだわ。延月の髪はもっと硬い感じだったのに。でも、なんでだろう。すごく懐かしい感じだった）<br />「なにか、あるのか？」<br />　見られていることに気がついたのか、居心地悪そうな声で水瀬は言った。穂波は慌てて、髪から目をはなした。<br />「なんでもないの。えっと」<br />　穂波が話を続けようと、考えたその時。ぐうぅるるる、とあまりにも間の抜けた音が響いた。この音は、腹の虫だ。<br />　穂波は慌てて自分の腹を見るが、なった覚えはない。前に目線を移すと、ばつの悪そうな顔をした水瀬がいた。<br />「……どうやら、腹の虫が鳴いたようだ」<br />「そうね、貴方この三日寝っぱなしで何も食べてないんだもの」<br />　穂波はくすりと笑った。すると、入り口のすだれが持ち上がった。<br />「穂波？」<br />　ひょっこりと顔を出したのは、頭のてっぺんで髪を結んでいる少女、早苗だった。<br />　早苗は、長いまつげをぱちぱちとし、くりくりとした瞳で穂波を見た。そしてさらに水瀬に目をやって、弾んだ声で言った。<br />「うわ、びっくり。穂波の家に男の子がいるなんて。ねえ、ほら隼兄（はやにい）」<br />　早苗より頭ひとつ分以上大きなところから、すだれを持ち上げて顔を出したのは、良く日に焼けた顔をした青年だった。青年も一瞬驚いたような顔をして、大げさに腕を組むと<br />「ついに穂波も身を固めることにしたのか」<br />　穂波は思わずぎょっとして、両手を身体の前でぶんぶんと振った。後ろにいる筈の少年が気になった。<br />「違うよ。隼太兄さんまで」<br />　隼太はにやりと笑って、わかってる、と答えた。くすりと早苗が笑って<br />「『長老』さまから、貴方たちを呼んでくるように頼まれたのよ。夕餉ですって」<br /> 　ずいぶんと長い間眠っていたことに穂波は驚き、そして<br />「『たち』？」穂波は繰り返した。「みんな、知ってるの？」<br />　うん、と早苗はうなずいた。<br />「《嘆き》で助かった子なんでしょう？みんなすごく喜んでた」<br />「……うん。そう」<br />　心のなかで『長老』にありがとうございますと呟き、穂波は立ち上がった。振り返って、水瀬に手を差しのべる。<br />「今から夕餉なのよ。心配はいらないわ。行く？」<br />　水瀬はしばらく黙り込むと、ぼそりと言った。<br />「迷惑にならないのなら」<br />「もちろん。波杜の民は皆いい人ばかりよ」<br />「そう、か」<br />　水瀬は自力で立ち上がろうとした――が。<br />　立ち上がろうとしたとき、どこかが痛んだのか、小さなうめき声を発して、見事に尻餅をついてしまった。<br />「まだ体力も戻ってないし、怪我も治ってないから、無理をしちゃだめよ。ほら、手を出して」<br />　水瀬はまたもや黙り込んで、しばらくそうしていると、ためらいがちに手を差し出した。<br />　その手を握って、引っ張る。身を起こさすと、肩を組んだ。<br />「おれが連れて行こうか」と隼太が申し出たが、穂波はこだわりなく「大丈夫」と答えた。そして、水瀬のほうを見やって<br />「『長老』の家まで、少し離れているの。痛むかもしれないけど我慢してね」<br />「……すまない」<br />　水瀬は小さく呟いた。<br /><br />『……殺してくれ』<br /><br />　その言葉が発しられなかったことに少し安堵して、穂波は小屋をでた。早苗がからかう口調で「仲がいいのね」と言って、隼太はどこか曖昧に笑った。<br /> ]]>
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<dc:subject>三章「まざしの行先」</dc:subject>
<dc:date>2008-09-27T00:00:00+09:00</dc:date>
<dc:creator>桐原 さくも</dc:creator>
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<title>二章「海色の瞳」　－４－</title>
<description> 「長老」　泣きそうな声で呼びながら、穂波はうしろを振り向いた。ただ沈黙を守っていた『長老』は、穂波のもとに歩み寄り、少年に触れ、顔をしかめる。そして、懐から何かを取り出し、少年の右腕、正確に言うと、火傷の上にあてがった。痛みがあったのか、少年は声にならない声をあげる。真喜里が心もとなさそうに穂波の手をにぎった。　長老があてがったのは、麻紐に通された、親指の先ほどの透明な玉だった。奇妙な曲線を持つ玉
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<![CDATA[ 「長老」<br />　泣きそうな声で呼びながら、穂波はうしろを振り向いた。ただ沈黙を守っていた『長老』は、穂波のもとに歩み寄り、少年に触れ、顔をしかめる。そして、懐から何かを取り出し、少年の右腕、正確に言うと、火傷の上にあてがった。痛みがあったのか、少年は声にならない声をあげる。真喜里が心もとなさそうに穂波の手をにぎった。<br />　長老があてがったのは、麻紐に通された、親指の先ほどの透明な玉だった。奇妙な曲線を持つ玉――勾玉と言うことに、穂波は思いあたる。勾玉には傷も、少しの翳りもなく、まるで空気のような色をしていた。<br />　穂波、と長老が呼ぶ。あわてて穂波が長老に寄ると、手をつかまれ、ひんやりとした勾玉の上にあてがわれた。<br />　何が起こっているのかわからない穂波に、長老は短く言った。<br />「名を」<br />　名、と穂波は繰り返す。長老はうなずく「名をおあげ」。<br />（お前はまるで、神様から下ろされた子のように、金色に光る稲の合間から出てきたんだよ。それこそ、金色の海から浮き上がってきたように。だから、穂波なんだ）<br />「水瀬」<br />　ためらいもなく、するりと言葉が穂波の口からこぼれた。もう一度、穂波の口からこぼれおちる。<br />「――水瀬」<br />　ふいに勾玉の中身がねじれたかのように見えた。とたん、中心からまるで渦巻きのように何かがあふれでる。広がっていったのは、少年の瞳の色だった。<br />　よどみ、うずまき、せめぎあうそれは、まるで器に水を満たすかのように勾玉のなかでうごめき――勾玉の中すべてに広がっても波立つようにゆらめいていた。<br />「なんですか、それは」<br />「……何をした」<br />　穂波が問い、少年も尋ねた。少年は、脂汗こそかいていたものの、少しのまで、ずいぶんと落ち着いたようだった。穂波は何が起こったかはわからなかったが、ほっと息をついて少年を見た。<br />　眉をよせ、目を細めて少年は『長老』を見つめていた。その瞳は、黒かった。<br />（勾玉が……色をとった？）<br />　『長老』は少年の腕から勾玉を離し、今やあおくなってしまったそれを見つめながら言った。<br />「これは、ふたじゃ」<br />　そして、少年に向き直った。<br />「可哀想な子よ。名を捨てよ。すべてはおまえの奥底に沈んだ。<br />　しかし、よくお聞き。沈んだだけじゃぞ。名前を呼べば、波が立って禍々しい力は浮かび上がってくるであろう。<br />　本当は、おまえのような可哀想な者は手にかけてやるのが一番正しい方法じゃ。苦しみにもだえる獣に止めを刺すのと同じように」<br />　穂波は長老の言うことひとつひとつに背筋が凍る思いをした。穂波の手を握る真喜里の手にも、力がこもる。<br />「だが、穂波はお前を助けてしまった。おまえは生きなければならぬ。この娘がそれを望んだのじゃから。水瀬――お前は、水瀬じゃ。この名前は癒し。捨てるでないぞ」<br />　穂波と真喜里はそろって力を抜いた。なにもとがめのないことがはっきりとしたからである。『長老』はゆっくりと立ち上がった。<br />「さて、わしは屋敷に帰ろう。薬草を傷に当ててやるといい。もう、身体の傷以外は心配ないじゃろうが、くれぐれも動かさぬようにな。真喜里は遅くならぬうちに帰るよう。怪我も治ったら、屋敷に連れておいで」<br />　屋敷に連れて行くことは正直不安であったが、穂波はとりあえず胸をなでおろした。真喜里が小さくよかったね、と呟き、それにうなずく。<br />　『長老』は穂波と真喜里に背を向けて、小屋を出ようとした。そんな『長老』に、少年が尋ねた。<br />「何者なんだ」<br />　呻くような問いに、『長老』は振り返った。そして、見えていないはずの目で確かに少年を見据え、答えにならない答えを返した。<br />「わしは、奈波の魂じゃよ。また、おまえさんもそうじゃ」<br />　その答えには、穂波も真喜里も首をかしげた。<br />「奈波の魂……？」<br /><br />　そう呟いた少年――水瀬は、今度こそ事切れたように眠ってしまい、丸一日目を覚まさなかったが、その眠りは幾分か穏やかだった。<br /><br /><br /> ]]>
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<dc:subject>二章「海色の瞳」</dc:subject>
<dc:date>2008-09-20T00:00:00+09:00</dc:date>
<dc:creator>桐原 さくも</dc:creator>
<dc:publisher>FC2-BLOG</dc:publisher>
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<title>二章「海色の瞳」　－３－</title>
<description> 　穂波と真喜里は、思わずぎくりと身体をこわばらせ、ちらりとお互いの目を合わせた。そして、そろそろと後ろを振向く。　覚悟はしていたものの、穂波は自らの心の臓が跳ね上がるのを防ぐことはできなかった。　二人の後ろに立つ、地にすりそうなほどの銀髪をもつ老女は、なにかたくらみを秘めているかのように目を輝かしていた。実際は見えていないはずなのに、穂波が自らの姿が捉えられているのではと思うほどに、瞳はいきいきと
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<![CDATA[ 　穂波と真喜里は、思わずぎくりと身体をこわばらせ、ちらりとお互いの目を合わせた。そして、そろそろと後ろを振向く。<br />　覚悟はしていたものの、穂波は自らの心の臓が跳ね上がるのを防ぐことはできなかった。<br />　二人の後ろに立つ、地にすりそうなほどの銀髪をもつ老女は、なにかたくらみを秘めているかのように目を輝かしていた。実際は見えていないはずなのに、穂波が自らの姿が捉えられているのではと思うほどに、瞳はいきいきとしている。<br />　身につけているのは、黄色の布に黒の縁取りのついた羽織。最高位の『祝い女（いわいめ）』のあかしだった。<br />　もう六十をすでに過ぎた歳のはずであり、しわがれた声も、顔に刻まれたしわも年齢を感じさせるものなのだが、この歳の老人達のもつ、角の取れた柔らかい雰囲気を『長老』は少しもまとっていないのだ。<br />　穂波は正直この老女が苦手であった。真喜里もそれは同じらしく、目を落ちつかなそうに動かしている。<br />　そもそも――いつからうしろにいたのか。	<br />　呆然とするふたりに目を向けて、『長老』はさもおかしそうに目を細めた。<br />「驚いているようじゃのぉ」<br />「……驚きました」<br />　穂波は思わず呟いて、まじまじと『長老』を見つめた。<br />　『長老』の身の丈は穂波よりだいぶ低い。しかし、銀にも見える白髪が、陽光を跳ね返して、まぶしいほどの光沢を放っているせいか、とても大きい存在に見えてしまう。<br />　そしてなにより、穂波の背中に嫌な汗が伝っているのは、突如『長老』がここにきた理由に思い当たったからである。<br />「まだまだ若い者には負けんわい」<br />　しかし、穂波の心配をよそに、嬉しそうにかっかと『長老』は笑った。おしとやかな微笑よりも、大きな動作で豪快に笑うしぐさがよく似合う人物だ。<br />　穂波は自らがどう出るべきか考えていた。すると、どこか慌てたように、『長老』のふしくれだった手に、真喜里が握り飯を渡す。そして、裏返った声で<br />「おばあさま、おにぎりどうぞっ」<br />　すると、『長老』の笑みは、どこか悪戯めいたものに変わった。<br />「わしにあげてしまってもいいのかい？」<br />　穂波と真喜里、両方から、嫌な汗が一気に吹き出た。<br />「も、ちろんよ、おばあさま。全部食べてちょうだい」<br />　真喜里が明らかに動揺した上ずっている声で言う。焦りがすべて態度に出ているあたり、まだまだ十の少女である。<br />「そうです。長老、もっと食べてください」<br />　真喜里ほどではないものの、どこか空々しいものいいで穂波は言った。<br />　『長老』は相変わらず悪戯めいた笑みを浮かべたままで、握り飯をひとつ手に取った。<br />「そうかい、じゃあいただくとしようかね」<br />「ど、どうぞ」<br />「た、食べてよ。おばあさま」<br />「嬉しいねえ。孫娘の作った握り飯を食べれるなんて」<br />「そ、そうだね！」<br />「そ、そうですよね！！」<br />　じゃあ、と『長老』は一歩足を進めた。<br />「穂波の家でいただこうかね。老体には立ちっぱなしは辛いのじゃよ」<br />　それは、と声を上げたのは真喜里だった。すると『長老』は<br />「……駄目なのかい？」<br />　と肩を落として、顔のすべてがすとんと落ちたような表情を穂波と真喜里に向けた。<br />　さっきまで幸せそうな顔をしていたのに、この落差はすごい、と思わず穂波は嘆息した。まるで七変化のようであり、妙に空恐ろしい。<br />　しかし、そのどう見てもわざとらしい態度が、逆に穂波を楽にした。<br />（気づいてるんだ。『長老』は）<br />　穂波の汗はひき、心の臓の早鐘は落ち着いてしまった。それは、腹をくくったとも言える。<br />「長老。あたしは二日前、岬でひとを見つけました。今、小屋の中にいます」<br />「よろしい」<br />　どうみても、穂波と真喜里の反応を楽しんでいたとしか思えないそのしぐさに、穂波はがっくりと肩を落とすしかなかった。<br /><br />　腹をくくった穂波ではあったが、小屋に入ってすぐ、ぎょっとする羽目になった。少年が、明らかに赤い顔をし、息も荒いまま、壁に身を預けて立ち上がっていたからである。<br />「ちょっと！」<br />　穂波はすぐに駆け寄り、少年を寝かせようと肩に手を伸ばした。しかし、穂波の指が触れるその前に、少年の手が歯切れのよい音とともに伸ばした手を振り払った。<br />　穂波はもう一度手を伸ばそうとしたが、少年と目が合った瞬間、木偶のように固まってしまった。<br />　少年の目はうつろだった。彼の『あお』い瞳は、まるで嵐の前の海のように黒くにごっており、瞳を見るだけで、意識が定かでないことがわかる。しかし、穂波に向けられたその瞳には、明らかな拒絶と、底冷えするような光があった。まるで、気のたった獣か、飢えた獣のように。<br />　穂波は目を逸らしたかったが――逸らすことができなかった。<br />「あなたはまだ、外に出れるような状態じゃない」<br />　少年の瞳を見つめたまま、言い聞かせるようにゆっくりと言う。すると、少年は穂波を見出そうとするかのように目を細めた。そして、かすれきった声で言った。その言葉は、まるで風のように小さかったが、穂波にははっきりと聞こえた。<br />「なぜ、生かした」<br />　穂波は心の臓を握られ、揺さぶられたような気分がした。後ろから、真喜里が息を呑む音が聞こえる。<br />　なぜって、と乾いた声で呟くと、まるで遮るかのように少年の声が続いた。<br />「殺してと、言ったのに」<br />　まるで、せきが切れたかのように、少年の口から言葉があふれ出る。<br />「僕は……死ぬはずだったんだ。死ななくちゃいけなかったんだ。死ななければ、ならなかったのに――」<br />　そこまで言って、少年はふいに顔を痛々しいほどにゆがめ、肩を抑えた。脂汗が床へととめどなく落ちていく。少年は苦しそうに息を吸って、吐いた。最後の言葉は一息で、まるで吐き出すかのようだった。<br />「どうして、生かしたりするんだ」<br />　穂波は、口を開きかけ、やめた。口の中はからからに乾いていた。しかし、穂波の心はここで引き下がることをよしとしていなかった。このままではいけない、と警鐘がなっている……<br />「海辺の民は、命を粗末にしてはならないのよ」<br />　穂波は、口を開いた。くちびるをなめると、幾分か口は動きやすくなる。<br />「漁師たちは常に死と隣り合わせにある。貴方が流されてきた嵐でも、さんにん、死んだわ。もう、戻ってこない」<br />　穂波は少年の瞳から、目を逸らさなかった。伝えたい、知ってほしいことが、たくさんある。<br />「戻って、こないのよ。もう、どこにもいない。海辺の民で天寿を全うできるひとは少ないわ。だから、わたしたちはせめてたくさん生きるの。少しでも長く、少しでも悔いなく、ひとつの命も粗末にせずに」<br />　穂波にはこの少年が愚かとしか思えなかった。許せなかった。海辺の民としてよりも、穂波として。<br />　悲しみよりも怒りのほうが大きく、口調は静かだったが、けっして穏やかではなかった。少年と同じく、穂波は一言、勢いよく言い切った。<br />「だから、貴方を生かしたのよ」<br />　穂波はそういった瞬間、力が抜けてしまい、へたり込みそうになった。<br />　しかし、さきに、まるで糸が切れたかのように、少年が床に倒れこんだ。穂波は気を奮い立たせて、今度こそ彼に触れ、その身体の熱さに目を見開いた。少年は意識を手放したわけではないようだったが、もうそれでせいいっぱいのように思われた。<br /><br /> ]]>
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<dc:subject>二章「海色の瞳」</dc:subject>
<dc:date>2008-09-13T00:00:00+09:00</dc:date>
<dc:creator>桐原 さくも</dc:creator>
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<title>二章「海色の瞳」　－２－</title>
<description> 　それから、さらに時間がたった。日は傾き始めている。　穂波は身体を壁に預けながら、ちらりと少年を見る。　少年の病態はこの数時間で明らかに良くなっていた。荒い呼吸はなくなり、熱もだいぶ下がった。しかし肩の痛みは顕在のようで、時折脂汗をかいては苦しそうに肩を抑えた。まあ、暴れてむしらなくなっただけでも良くなったと言えるだろうが。　そっと、穂波は少年の衣の袖を捲る。右肩――火傷は、腫れているわけでも膿んで
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<![CDATA[ 　それから、さらに時間がたった。日は傾き始めている。<br /><br />　穂波は身体を壁に預けながら、ちらりと少年を見る。<br />　少年の病態はこの数時間で明らかに良くなっていた。荒い呼吸はなくなり、熱もだいぶ下がった。しかし肩の痛みは顕在のようで、時折脂汗をかいては苦しそうに肩を抑えた。まあ、暴れてむしらなくなっただけでも良くなったと言えるだろうが。<br />　そっと、穂波は少年の衣の袖を捲る。右肩――火傷は、腫れているわけでも膿んでいるわけでもない。　穂波の目から見たところでは、だいぶ昔の傷だ。でこぼことした肌は見るに耐えないほど痛ましいが、今も痛みを伴うとは思えない。<br />　だとすると、と穂波は考える。この傷は、普通の傷ではないのだ。<br />　どこがといわれても答えることができない。なぜなら自分は彼ではない。<br />　なにか焼き鏝(ごて)を押し付けたような火傷。何かがのた打ち回った後の地面のような肌。<br />（拷問……もしくは……刑罰とか）<br />　まさか、と思う。自分と同じ年頃の少年が、拷問されて、焼き鏝を押し付けられることなどありえない。少なくとも、我児奈波(あこななみ)――自分の知っている距離の中でそんな話は聞いたことがない。遠い南にある王都ではどうかしらないが。<br />　拷問、という考えはよそう。拷問をされるのは悪人だ。自分の助けた人物が罪人だというのはあまりいい気がしなかった。それに、もし彼が罪人だった場合、『長老』がどう動くかも心配のひとつだった。<br />（それに、あんなに綺麗な色の瞳をしてるもの）<br />　蒼穹の蒼より深く、碧海の碧よりも翠がかっている、でも見覚えのある『あお』。<br />　穂波は思い出そうと躍起になる。<br />（どこで見たんだろう。どこで覚えて？　誰と見たの？　……誰……見た………………違う）<br />　聞き覚えがあるのだ。<br />『水瀬島(みなせじま)から見た海は、空の蒼とも、碧海の碧とも、同じようで違うんだ。空の蒼より深く、海の碧より翠がかっている』<br />　幼い自分が思い描いていた、異国の海の色。少年の瞳は、そのままの色だった。水瀬の島から見た海。<br />「決めた」<br />　穂波は満足したように頷いた。すると、まるで相槌のように腹の虫がぐぅ、と声を上げた。<br />「……おなか減った」<br />　満足感とともに彼女に舞い降りてきたのは、耐え難い空腹感だった。<br />「おなか減った？　穂波おねえちゃん」<br />　柔らかい声が、すだれの向こう側から聞こえた。<br />「真喜里」<br />「うん」<br />　穂波は立ち上がり、すだれを上げた。そこには、握り飯の山を抱えた真喜里が、ちょこんと立っていた。<br />「……わあ、こんなにたくさん」<br />「わたしが作ったの！」<br />　自慢げにそう言う真喜里に笑い返して、穂波は一度外に出ようと思い立った。背筋はこわばり、足もしびれている。背伸びをすると、体中に風がめぐるような気分になった。一歩外に出れば、太陽は白く煌いて、惜しみなく熱い陽光を降らしていた。夏特有の湿り気を帯びた風が、首筋を吹きぬけていく。　穂波は自らが、風通しの良い着物がずっしりと重くなるほど汗をかいていたことに気がついた。風に冷やされた汗が心地よい。<br />　真喜里は穂波の家の壁にもたれて、砂浜に座った。穂波もそれに続く。真喜里は山からひとつ握り飯を取り出して、穂波に差し出した。<br />「ちょっと塩入れすぎちゃったけど……食べてくれる？」<br />「もちろん」<br />　受け取った握り飯は穂波のこぶしよりも小さく、いかにも真喜里がつくった大きさといった感じだった。<br />　一口食べる。真喜里の言ったとおり、少し塩がききすぎていたけれど、空腹感がそれを補って、とても美味しく感じられる。<br />「美味しいよ。真喜里。ありがとう」<br />「どういたしましてっ」<br />　真喜里はくすぐったそうに笑った。<br />「穂波おねえちゃん。あのひと……どう？」<br />「たぶん、もう少ししたら目を覚ますと思うわ。さっき目を開いたから」<br />　三つ目の握り飯を口に運びながら、くぐもった声で穂波は言った。<br />「よかったね」<br />「うん」<br />　それからしばしの間、穂波は食べることに専念した。どこか満足げな表情で、真喜里はそれを見つめながら、穂波の友達である早苗が、二日も屋敷に来ていないことをしきりに気にしていたこと、祭りの用意が整い、一週間後に執り行うと『長老』が宣旨したことなどをとめどなく話した。<br />　いつしか、山のようにあった握り飯は、あっという間に数個になってしまっており、真喜里は満足げに笑った。穂波は、残った握り飯を、器の端に寄せた。<br />「あと五つは残しておくわ」<br />「そうだね。はやくあの人も起きて食べてくれればいいのに」<br />「ねえ」<br />　ふたりは顔を見合わせて笑った。ころころとした笑い声は、蒼穹に吸い込まれていくかのように響いた。<br />　ひとしきり笑い終え、穂波は器を片手に立ち上がり、着物についた砂を払った。あまり外でゆっくりしていて、中で何か起こったら困る。まだ少年は重病人であるのだから。<br />　真喜里に声をかけようとしたとき、つ、と真喜里が穂波の着物の裾を引いた。<br />「どうしたの？」<br />「これ、使って」<br />　真喜里が懐から取り出したのは、水分をたっぷり含んだ肉厚の植物だった。真喜里はどこか得意げな口調で続ける。<br />「安守森(あすもり)で採ってきたの。皮をめくって、そのなかにあるものを、切り傷にあてるといいのだって。……火傷にも効くって教えてもらったの。ほんとうは熱を冷ます薬草がほしかったんだけど、間違えると危ないから」<br />　安守森と言うのは、長老の屋敷の裏手にある広大な森である。その奥には海神を祀る祠があるため、村人達は必要以上には踏み入らない。鬱蒼と木々が生い茂る森は薄暗く、迷いやすい。そんな場所に真喜里が一人で入ったことに、穂波はぎょっとした。<br />「嬉しいけど、安守森にはひとりで入っちゃだめ。迷子になったらどうするの」<br />　穂波のやや咎めるような口調に、真喜里は唇をゆがめた。しゅんとしている、というより、口を尖らせたような感じだった。そして、そんな表情にぴったりの、どこかすねたような口調で<br />「だって、なんにもしないなんて、嫌なのだもの」<br />　仕方ないわね、と穂波は鼻で息をはいた。<br />「じゃあ、せっかくだから自分で治療してちょうだい」<br />　やった、と真喜里は笑った。そして、二人そろって小屋に入ろうと、穂波がすだれに手をかけたとき――<br /><br />「わしにもひとつもらえんかね？」<br /><br />　しわがれた、それなのにどこかはりを感じさせる凛とした声が背後から飛んできた。<br /> ]]>
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<dc:subject>二章「海色の瞳」</dc:subject>
<dc:date>2008-09-06T00:00:00+09:00</dc:date>
<dc:creator>桐原 さくも</dc:creator>
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<title>二章「海色の瞳」　－１－</title>
<description> 　少年の漏らした呻き声に、穂波は浅い眠りから引き戻された。　真喜里(まきり)とともに、少年を誰の目にも触れぬよう、七海の小屋に運んで二日が経つ。　目立った怪我こそなかったものの、少年は小屋に運んだその晩にどっと熱を出した。　ぜいぜいと苦しそうな息を繰り返し、すさまじい身体の熱は、丁度二日経った今も下がる気配が一向にない。薬草でも探してやれればいいのだが、生憎穂波には、その分野の学がなかった。最善の方
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<![CDATA[ 　少年の漏らした呻き声に、穂波は浅い眠りから引き戻された。<br />　真喜里(まきり)とともに、少年を誰の目にも触れぬよう、七海の小屋に運んで二日が経つ。<br />　目立った怪我こそなかったものの、少年は小屋に運んだその晩にどっと熱を出した。<br />　ぜいぜいと苦しそうな息を繰り返し、すさまじい身体の熱は、丁度二日経った今も下がる気配が一向にない。薬草でも探してやれればいいのだが、生憎穂波には、その分野の学がなかった。最善の方法は、癒しの力を持つ『長老』のもとに少年を連れて行くことだが、《嘆き》に巻き込まれた漁師たちの弔いや祭の用意で、『長老』は今までになく忙しく、これ以上問題――我児奈波の者ではない漂流者――を持ち込むのは穂波自身気がひけた。<br />　ゆえに穂波自身も部屋から外にでていない。否、でられないでいる。真喜里には小屋に近づかないよう、少年のことを口外しないように言い、それ以来真喜里もきていない。<br />　今、唯一穂波が少年にしてあげられることといえば、海水にひたした布を額に置くことだった。<br />　少年は時々、苦しそうな呻き声を上げ、右肩の古傷を掻きむしろうとする。今のはただの呻き声だったが、熱を出してから今まで、なんども発作のように肩を掻きむしった。<br />　彼は呻き声とともに、いくつか言葉を漏らしていた。聞き取れたものは『やかげ』『やみ』『あつい』……。<br />　彼が混濁した意識の中で何をみているのか、穂波はわからなかったが、少年が顔をしかめ、肩に手をやるたびに、少年の腕を肩から引き離した。いくら同じ年頃の少年とはいえ、力は強く、引き離すのにも一苦労だった。そして今では、幸か不幸か、呻き声ひとつで目が覚めてしまうようになってしまった。<br />　ふと目線をあげると、壁の隙間から日が差し込んでいる。――朝日だ。<br />　少年の意識は戻らない。苦しそうに呻いて、肩を傷つけようとするだけ。<br />　穂波は、小さくため息を漏らして、少年の額に乗せた布を取り、たらいに満たされた水に浸す。絞って、また額に置きなおす。効いているのか、いないのかもわからない。おそらく効いてはいないだろう。しかし、なにもしないわけにはいかない。<br />　この二日間、ろくに寝ていないし、食べてもいない。少しだけ恨めしそうに、穂波は少年を見つめた。<br />――助けなければよかったのか。<br />　ちらと、そんな思考が脳裏をよぎる。その考えを打ち消すように、呟く。<br />「……そんなこと、ない」<br />　穂波は少年に自分の過去を見た。延月は穂波を助けた。だから、自分は彼を助ける。<br />　名前もわからない、見たことのない衣を着た少年。<br />　せめて、名前を呼ぶことができるのなら。そうすれば、できることが一つ増えるのに、その名前すらもわからないのだ。<br />「いいかげん……目を覚ましてよ」<br />　柄にもなく弱々しく呟く。何よりも気が滅入るのは、寝不足だからでもなく、少年の行為でもない。<br />　この部屋の空気が、じわじわと侵食されている気がすること。『死』の空気が、日に日に少年を取り巻いていくような、そんな気がするからだった。<br />　穂波がこんなにも死を身近に感じたのは、これが初めてだった。少年は明らかに弱っている。意識も戻らず、生と死の狭間で苦痛に苛まれている。<br />　もし、死んでしまったら。そんなこと、考えたくもないのに、まるでこびりついたように離れない。<br />（助けなければよかったなどと思わない。でも、もし死んでしまったら……）<br />　堂々巡りの考えしか浮かばない。少年が目を覚まさなければ、なにも変わらないのだ。<br />　考えをめぐらすうちに、じょじょに眠気が穂波取り囲み、包んでいった。<br /><br /><br />「ぐっ……」<br />　呻き声。<br />　それに反応し、一瞬にして冴える、穂波の瞳。<br />　気付けば、時間は昼頃だろうか。陽光は小屋の真上から射している。<br />　少年に目をやると、肩を傷つける様子はなさそうだった。ひとまず安心し、穂波は胸をなでおろす。<br />　額に置かれた布は、すっかり水分を失っていた。慌てて手を伸ばすと、額から少し離れた位置でも、ちりちりとした熱が指に伝わってくる。苦しそうに胸を上下させるさまは、見ているだけでも痛ましい。<br />（……やっぱり、『長老』のところに行かなくちゃ行けないかもしれない）<br />　そんなことを考えながら、額に置かれた布を取る。水に浸し、また額にのせようと、手を額に伸ばす、が。<br /><br />　それは一瞬のことだった。<br />　少年の閉じられた瞳がゆっくりと開き、閉じた。<br /><br />　穂波は思わず、息を呑み、しばらくの間少年を見続けた。――開いた少年の瞳が、目の裏に焼きつくかのように残っている。<br />　その瞳の色は瑠璃の青ではなく、空の蒼でもなく、島を包み込む碧海の碧でもない、どんな色にもたとえられない『あお』色だった。見たことのない、穂波にとっては人の身体には属さないはずの色。<br />　見覚えのない、それなのに、見覚えのある気がする『あお』。少し翠がかっていたようにも思う。<br />（よかった……）<br />　穂波は思い切り息を吸い込んで、吐き出した。ふっと肩から力が抜けた気がした。<br />　一瞬とはいえ、少年が目を開けた。意識が死から生へと向き始めている証だと、穂波は思った。<br />　目を開けた、それだけのことが、穂波の中から眠気と倦怠感を振り払う。<br />　小屋の中に滞っていた重苦しい空気は払拭されたように思えた。広がるのは、育てた植物が、花を開いたときのような、温かく、明るい、感覚。<br />　もう一度見るが、少年の目は開かない。でも、もう少しで彼の意識が現に戻ってくることが、確証はないが、なぜか確かに思える。<br />「よかった」<br />　穂波は、今度は口に出して呟く。<br />　名前も素性も、なにひとつわからない少年。見ず知らずの他人。でも、生きている。だから、とても嬉しかった。<br />（本当に目が覚めたら、もう一度名前を聞こう。そして、もしなかったら……あたしがあげよう）<br />　名前がわかれば、名前があれば、他人ではない。延月が自分に名前を与えてくれたとき、穂波と延月は他人ではなくなったのだから。<br />「早く……目を覚まして」<br />　少年にそそぐまなざしを優しげに揺らして、穂波は希望をこめて呟いた。<br /><br /> ]]>
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<dc:subject>二章「海色の瞳」</dc:subject>
<dc:date>2008-08-30T00:00:00+09:00</dc:date>
<dc:creator>桐原 さくも</dc:creator>
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<title>ラフ　真喜里</title>
<description> ラフ画　真喜里――――――――「ちょこん」という言葉がこんなに似合う女の子がいるのでしょうか。真喜里です。要望どおり黒淵の羽織までつけていただきました！伏せた瞳にほほえむくちびる。合わせた手と足。彼女の可愛さが八割り増しで表現していただいています！　髪の毛もふんわりしてて、本当に愛らしいの一言に尽きます……！この絵に見合う彼女を書くため精進します。
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<![CDATA[ <a href="http://blog-imgs-41.fc2.com/k/a/m/kamiasyagi/makiri.gif" target="_blank"><img src="http://blog-imgs-41.fc2.com/k/a/m/kamiasyagi/makiri.gif" alt="makiri.gif" border="0" /></a><br /><br />ラフ画　真喜里<br /><br />――――――――<br /><br />「ちょこん」という言葉がこんなに似合う女の子がいるのでしょうか。<br />真喜里です。要望どおり黒淵の羽織までつけていただきました！<br />伏せた瞳にほほえむくちびる。合わせた手と足。彼女の可愛さが八割り増しで表現していただいています！　<br />髪の毛もふんわりしてて、本当に愛らしいの一言に尽きます……！<br />この絵に見合う彼女を書くため精進します。<br /><br /> ]]>
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<dc:subject>絵師様情報</dc:subject>
<dc:date>2008-08-27T10:11:34+09:00</dc:date>
<dc:creator>桐原 さくも</dc:creator>
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<title>ラフ　水瀬</title>
<description> 水瀬ラフ画―――――――み、水瀬だ……っ、といただいた瞬間思わず思ってしまった一枚です。穂波と対比するようにシンプルな服装も彼らしくて、しかも、愁いを帯びたような表情が……！それでもってどこか気弱そうなところとか、華奢なのにしっかりしてそうなところとか、本当に少ない情報から彼のすべてを余すところなく引き上げていただきました！
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<![CDATA[ <a href="http://blog-imgs-41.fc2.com/k/a/m/kamiasyagi/minase.gif" target="_blank"><img src="http://blog-imgs-41.fc2.com/k/a/m/kamiasyagi/minase.gif" alt="minase.gif" border="0" /></a><br /><br />水瀬ラフ画<br /><br />―――――――<br /><br />み、水瀬だ……っ、といただいた瞬間思わず思ってしまった一枚です。<br />穂波と対比するようにシンプルな服装も彼らしくて、しかも、愁いを帯びたような表情が……！<br />それでもってどこか気弱そうなところとか、華奢なのにしっかりしてそうなところとか、本当に少ない情報から彼のすべてを余すところなく引き上げていただきました！ ]]>
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<dc:subject>絵師様情報</dc:subject>
<dc:date>2008-08-27T10:06:45+09:00</dc:date>
<dc:creator>桐原 さくも</dc:creator>
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<title>ラフ　穂波</title>
<description> 穂波ラフ画―――――――り、凛々しさが半端ないです……！まっすぐな瞳と、整った眉、そしてその凛とした立ち姿。私の中で掴みきれていなかった穂波の像がここに！って感じです。この絵のおかげで、物語の方にもかなりインスピレーションがやってきました。穂波がより身近に感じられて、もっと彼女を良く書ける気が。まずは文章力を磨かないとだめなんですけどね＾＾；首飾りとか、服の淵の模様とか、細かいところまで凝っていただいて、
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<![CDATA[ <a href="http://blog-imgs-41.fc2.com/k/a/m/kamiasyagi/honami.gif" target="_blank"><img src="http://blog-imgs-41.fc2.com/k/a/m/kamiasyagi/honami.gif" alt="honami.gif" border="0" /></a><br /><br />穂波ラフ画<br /><br />―――――――<br /><br />り、凛々しさが半端ないです……！<br />まっすぐな瞳と、整った眉、そしてその凛とした立ち姿。私の中で掴みきれていなかった穂波の像がここに！って感じです。<br />この絵のおかげで、物語の方にもかなりインスピレーションがやってきました。穂波がより身近に感じられて、もっと彼女を良く書ける気が。まずは文章力を磨かないとだめなんですけどね＾＾；<br />首飾りとか、服の淵の模様とか、細かいところまで凝っていただいて、最初にこれを見たときの感動といったらないです。本当に、なんどお礼を言っても足りないくらいです。<br /> ]]>
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<dc:subject>絵師様情報</dc:subject>
<dc:date>2008-08-27T10:02:16+09:00</dc:date>
<dc:creator>桐原 さくも</dc:creator>
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